五輪の余韻に、浸っています。
自分一人ではなく、沢山の人の思いを背負って
競技に挑む、緊張とプレッシャー。
選手たちの表情を見ているだけで、
息が止まり、足が震えてしまいそうでした。
たった一回きりのチャンス、
スポーツの厳しさを、ここまで感じたのは
初めてです。
芝居だったら、撮り直しもあるし
舞台で、たとえ台詞を忘れても
なんとか誤摩化しがきくものです。
役者に点数は、つけられないし
演技の良し悪しを決めるのも
見てくれた人、それぞれの判断。
たった一人の心にでも響いて
共感してもらえれば、嬉しいという
自己満足に近い、曖昧な世界。
選手たちの緊張感は、到底想像もつかないし
オリンピック選手にならない限り
味わうことはないでしょう。
プレッシャーに押しつぶされて
逃げ出したくなるだろうな。
「最後は、自分の力を全部出し切って
楽しもう、と思った」
と、ほとんどの選手たちが
口にしていたのが、印象的でした。
これまで、自分を支えてくれた人たちの為に
力を振り絞り、全身全霊で捧げる表現。
そこには、奇跡が起きるものなのだ
と、痛感しました。
素晴らしい感動を、ありがとう!
すこし先にはなりますが・・
気持ちはもう、東京オリンピックへ
向かっています。
東京の夜景が、ますます
きらびやかに、彩られることでしょう。
楽しみです。
あるセラピストの方のブログに
こんなことが、書いてありました。
死を目前とした人々が
自分の人生を、振り返り
『一番、後悔すること』として
挙げたこと。
その中で、最も多かった意見が
『人の期待するようにではなく
もっと、自分に正直に
生きる勇気があればよかった』
と、いうものだそうです。
家族や、世間の目を気にして
本来の自分を、見せられなかったり
周りからの評価に、振り回されて
その期待に応えようと、頑張ったり。
知らず知らずのうちに
そんな生き方を、選んでいる自分がいます。
死を、目の前にした時に
わかるのだろうな。
もっと、ああすればよかった。
こんな生き方が、したかった。
その時になって、初めて
それをやりたい、という勇気や覚悟も
生まれるのかもしれません。
慌ただしく、過ぎてゆく
毎日の中で。
少しだけ、人生のベクトルを
見直してみると
心にゆとりが。
うまくいかないからこそ、人生。
そこに、意味があるのだと思います。
今はただ、目の前にある幸せを
しっかり、感じていたい。
現在、はまりまくっているドラマ
「ウォーキング・デッド」を、見ながら。
そんなことを、考えているのでした。
先日の、番組収録にて。
先日、講演を聞いてくれた
生徒さんたちの感想文が、届きました。
中学三年生の、リアルな筆跡。
なんて、美しいこと。
今の子たちは、我々の頃に比べると
とてもしっかりしている様に感じます。
私たちの世代は、もっと幼くて
馬鹿をやっていたような記憶が。
「ずいぶん皆さん、大人なんだなあ」
と、授業の時も、少し焦りました。
感想文も、それは真面目な内容で。
私が、適当に言った言葉まで、
しっかりとメモされており、
恥ずかしいやら、申し訳ないやら。
そして、ほとんどの生徒さんが、
『印象に残った言葉』として
書き記していたのが
「夢をあきらめない」でした。
・・私、そんなこと言ったっけ?
言ったのでしょう。
「どうしたら、夢を実現できますか?」
という質問事項が、あったから。
「目の前のことを、一つ一つ
あきらめずに、やる」
と話したように、覚えています。
『夢をあきらめない』
この定番のフレーズが、最もみんなの心に
残ったようです。
やっぱり、こういう夢のある言葉が
好きなんだな。
自分が一体、何になるのか、
まだ想像もつかなくて
心も体も、ゆらゆらしている年頃。
そんな時期を、支えていくのは
とても抽象的だけれども、
夢を見て、夢を信じて、
そこへ向かっていこうとする
情熱なのかな、と思います。
私もあの頃、自分がどこへ向かうのか
わからないままに、手探りで
がむしゃらに、生きようとしていた。
まさに、情熱のかたまりだった。
あれが、青春だったのかも。
忘れていた、情熱を
取り戻すかのように。
少しくすぶった心に、火をつけて
私も、自分の夢を信じていこう
と、思います。
気づけば、もう2月。
春のような暖かさから、一転して
白銀の世界に。
雪が降ると、わくわくしてしまう
この心境は、幾つになるまで
続くのでしょうか。
この大雪の中も、お仕事の方々は
さぞかし大変だろうな、と思いつつ
家でぬくぬくできる、幸せに
どっぷり浸っています。
オリンピック、始まりましたね。
ハプニングはあったようですが
夢のように、美しい開会式でした。
なんと言っても、フィギュアです。
氷上の女王は、誰になるんだろう。
それぞれの選手たちの思いを、感じながら
応援したいと思います!
おまけ。